長谷工総合研究所「CRI」連載記事 |
■虫の目から時代の変化を読む
まちの中に探る未来の兆し
2017年3月〜 |
1.ゲストハウスの増殖
交流人口の拡大に伴う宿泊市場への新規参入者 2017年3月
街の中にあらわれた変化からトレンドを探ろうという主旨でタイトルを変更してスタートしました
オフィスビルやマンションを改装し簡易宿泊施設「ゲストハウス」が大阪市内、京都市内で増えています。インバウンド客の拡大に対応する宿泊施設の不足があらたなビジネスチャンスを生んでいます。
住宅エリアへの観光客の進入や法的基準をぎりぎりクリアした物件も多く、今後問題になるだろうと思います。乱立する宿泊特化型ホテルの計画図面も随分いいかげんなものが多いですしね。
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2.EC市場の伸びは「みせ」と「「まち」をどう変えていくのか
2017年6月
アメリカの廃墟ショッピングセンターがネット上で話題になっています。核店舗の「百貨店」がアマゾンなどECの影響で売上を落とし、SCから撤収するケースがあいついでいるからです。日本でも地方に行けば「廃墟」に近いSCは結構あります。アメリカほどECの影響は受けていませんが、郊外SCの更新の時期がきているからです。
ただ、今後「リアル店舗」が果たす役割は変わっていくことは間違いないです。集客のためのサービステナントは今まででしたら賃料が低いので敬遠されてきた業種です。 |
3.「場」の魅力は時間の重なりがつくる
リノベーションホテルが注目される理由 2017年9月
旧奈良少年刑務塩がホテルを中心とした複合施設に生まれ変わります。明治五大監獄の最後のひとつの重厚な建物です。
なぜ、新築では無いのでしょうか?経済合理性だけでははかれない「場」の価値がそこにはあります。
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4.「百貨店」消滅する都市と残る都市 消滅の背景にみえる都市の構造変化
2017年12月
百貨店の市場は縮小していますが、ある程度の都市規模がありながら百貨店が消える都市と残る都市があります。その境目はどこにあるのでしょう。都市の構造から考えて見ました。 |
■関西から地方の活力を考える
東京から見えないもうひとつのニッポン
2010年6月〜2016年12月 |
1.「流れ」が変わる 人、モノ、情報の「小さなトレンド」が地域を活性化させる
2010年6月
ずっと「関西復権」を願っていたのですが、「関西」の枠にとらわれている限り「変化」はおきないと考えるように成りました。一見ちいさく見える変化の積み重ねが大きなうねりとなって「中央」ではなく「地方」の復権につながるという主旨で現場でおきている小さな動きをピックアップして論じていくということで新しく連載をスタートさせました。
外国人が集まる「地方」やツィッターによる個人発の情報発信にこの時期から注目していました。
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2.食ビジネスが地域を救う 食クラスター「フードバレー」増殖中
2010年9月
地方に工場や大学を誘致しても、企業の都合で簡単に閉鎖されたりします。地域のブランド化、そこでしかない事業を作り上げるには「食」を中心とした産業集積がきわめて有効です。シリコンバレーならぬフードバレーはその後全国各地に拡がっています。
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3.希望と不安が交錯する全面開通 九州新幹線による広域連携のインパクト
2010年12月
九州新幹線は時間距離から関西と九州地区をより強く結びつけると考えていましたが、福岡経由で訪日する韓国の観光客の回遊を促進したのかもしれません。
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4.人を集める仕組みにまつわる誤解〜需要がある施設が供給されなくて
需要が不透明な計画が推進される不思議な大阪 2011年3月
需要が不透明というのは当時話題になっていた「うめきた」でのサッカースタジアム計画です。サッカー専用のスタジアムは基本的に天然芝なので他の用途に使いにくいのです。その後吹田市に建設された市立吹田サッカースタジアムもそうですし、神戸のノエビアスタジアムもそうですが、芝の手入れが大変でコンサートには使えない状態です。(吹田は住宅街なので防音の問題もありますが)
逆に需要があってもあまり話題にならないのは大規模ホールです。東京で開催されたイベントを関西に持ってきてもなかなかハコが無い…大阪城ホール、京セラドームぐらいでしょうか。イベント会社に取材しても口を揃えてそう指摘されます。
フェスティバルホールを維持してる朝日新聞は偉い!!としか言いようがありません。
バブルの時には競って文化施設を建てていた自治体も最近は元気がありません。中止になった堺市民会館の移転拡張には期待していたのですが…。
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5.「仕事」を求めて人口が動く時代から、
「住んでみたい街」を選んで動く時代に 2011年6月
住宅地の人気の格差が大きくなってきています。都心でも空き家が増える一方、特定の地域に人気が集中したりしています。地震などの災害が影響を与えていることもありますが、「文化」が人を引き寄せるという側面も無視できなくなっています。 |
6.2011年「大阪百貨店戦争」で浮かびあがる街の構造の変化
2011年9月
厳密に言うと「百貨店戦争」ではなく「駅ビル」の勢いがあらためて確認された結果となりました。「JR大阪三越伊勢丹」は地元での知名度が思ったより低かったのと「ルクア」と店舗配置が逆だったのが影響していたと今でも思います。大阪には「三越」「伊勢丹」が二度と出店しないだろうなと思うと少し寂しいですね。
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7.「うめきた」は関西を生まれ変わらせる扉を開く鍵を握っている
パネルベイを超える新成長産業の創出へ
2011年12月
京阪神の交流拠点として研究開発型の産業を誘致して海外の高度人材を集めるポテンシャルがあるという期待を込めて記事を書きました。
2017年11月現在、海外の高度人材での「日本」の人気は下位レベルだそうです。円安でお買い物には良くて住みたい、働きたい街にはなれていないのでしょうね。
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8.「平清盛」が瀬戸内をつなぐ 点が線に、線が面に拡がるそのさきに
アジアに拡がる「瀬戸内経済圏」がみえてくる
2012年3月
この年の大河ドラマは平清盛でした。悪役として扱われていた平清盛の海外貿易重視の先進性と瀬戸内の広域交流圏について考えました。神戸、倉敷、しまなみ街道もFダイナミックに変化していました。
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9.「クルマ離れ」と「ノマドワーカー」の背景 「シェア経済」の浸透
2012年6月
クルマはコミュニティでシェアされるようになるだろうなと予感されます。自動走行が実用化されるのはまず限定されたエリアの移動でしょうね。
ノマドワーカーという言葉が流行りましたが今は「テレワーカー」という呼称が一般的です。こちらは企業内のワーカーがオフィスの外部で働くイメージが強いですね。
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10.住んでみたい街づくりが「沈む大阪」を救う
創造的な人材の吸引で「大量生産ものづくり」から
「ものづくり2.0」への脱却を 2012年11月
「大阪」は行ってみたいけれど住みた無い街だという調査結果が日本経済研究センターのレポートで発表されました。あれから5年、今や日本全国が「大阪化」したような感があります。観光客には人気でも高度人材にはそっぽをむかれているようです。
「大阪」のことばかり考えるのをやめようと連載のタイトルを変えてもらったのですが、いつの間にか「大阪」のことを語ってしまう悪い癖があります。(もう終わりにしますが)
「交流人口」の拡大だけでは何の解決策にもならないのです。
カジノで生まれる雇用は負荷価値の低いサービス業のアルバイトだけです。
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11.流れが変わる時代の「ものづくり2.0」と街づくりの発想の転換
同人誌隆盛、3Dプリンターの普及、建機メーカーの情報が示す未来と
関西の可能性 2012年12月
クリエイティブな世界で「個人発」のコンテンツが話題を読んでいます。大規模な組織や既存の仕組み以外から新しいサービスやデザインが創造されることは東京に比べて「集積力」が劣る関西にとってもチャンスと考えるべきだと提起しました。
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12.相次ぐ高層オフィスビルの開業で変わる大阪の風景と
梅田商業施設戦争の第2章 2013年3月
「阪急梅田本店」(2012年11月)、「中之島フェスティバルタワー」(2012年11月〜2013年4月)「グランフロント大阪」(2013年4月)、「あべのハルカス」(2013年夏〜2014年4月)とこの頃あいついで話題の高層ビルがオープンしました。
心配されていた空室率はおもったほど高くなく、なんとか順調に入居者が決まったようです。(関係者は大変だったようですが) |
13.「B級ご当地グルメ」と「スイーツ」によるまちづくりの展開
「情的資本」がユニークなまちづくりの推進力になる 2013年6月
B−1グランプリが必ずしもすべてうまくいっている訳では無いですが、地元に愛される食材がまちづくりのキーになることは間違いないです。
阪神電鉄「新在家」のクラウドファンディングも食の店への地元の人の投資が中心です。西宮市の西宮洋菓子研究会についても御紹介しました。
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14「御三家」の変遷とホテル市場の地殻変動
2013年10月
大阪のかつてのホテル「御三家」のうち残っているのは「リーガロイヤルホテル」だけになりました。ネットでの室料のディスカウント価格をみると、かつての「格」はあまり関係なくなっています。東京を含めた新御三家について論じました。
この頃はまだ、大阪のホテル市場がこのようにぐだぐだになるとは思いもしませんでした。
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15.業界の「20XX年問題」それぞれの業界からみえてくる
未来への危機感 2013年12月
確実に見えている未来のターニングポイント「20XX年問題」について該当する業界の危機感・問題意識が意外に低いことを論じています。
2015年までの耐震診断の義務づけが商業施設、ホテルの建替や廃業を促進しました。2018年には大学入学者数が激減し、2019年からは人口減少が始まります。 |
16.仕切り直しが始まった梅田商業施設競争
駅と繁華街の50年から今後の展開を読み解く 2014年3月
JR大阪三越伊勢丹の営業面積を5万uから3.3万uに縮小し、ルクアと一体となって運営すると発表されました。「伊勢丹」ブランドは大阪では浸透していないというこちおは当社の調査でも明らかになっています。確かに「駅ビル」の勢いは百貨店より強いモノがありますがみおう少しアプローチの方法があっただろうと思います。 |
17.あべのハルカス 300mの視界に開ける未来と
上町台地に深く根付く大阪の記憶 2014年6月
上町台地というのは古代から中世、海に張り出した半島の高台部分です。その他の大阪は海の底でした。四天王寺から西方浄土を眺める国際的な玄関口でした。
あべのハルカスはその上町大地に立つ新しい大阪のシンボルです。通天閣は昔は海の底でした。
当初は観光客の誘致に苦しんでいましたが、2017年現在順調に観光客を集めているようです。観光客の目も奈良や和歌山など日本の伝統文化に向いてきていることも追い風になっていると言えそうです。 |
18.「新なにわ考現学2014」@
おおさか街イメージの10年変化 2014年9月
014年の6月に実施した大阪市内通勤者の「大阪の街イメージ調査」は1989年に(株)プランドゥの時代にスタートした私のライフワークのようなモノです。繁華街や店舗、ホテルのイメージの変化、ポジションの変化について分析しています。
初回は繁華街の変化について分析しています。特に2005年調査からの10年間の変化を追いかけています。千日前・道頓堀、心斎橋はまだいまほど極端に変身はしていませんでした。
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19.「新なにわ考現学2014」A
25年間の街の変化と人の変化〜ホテル利用率減少から見る
顧客づくりと都市の将来 2014年12月
ホテルの利用率が1989年の83.6%から2014年の28.5%と大きく減少しています。バブルの頃はホテルは町に開かれた場でした。会合や会食での利用も多かったのです。25年間で街の中でのホテルの役割は大きく変化しました。
百貨店の利用率は96.9%から76.5%へと縮小していますが、まだホテルに比べると変化は少ないです。(いずれも過去1年間の利用経験率)
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20.「新なにわ考現学2014」B
25年間の街変化 大阪の東西南北の今−1 2015年3月
大阪は基本的に「キタ」と「ミナミ」で構成されていると言われてきました。なにわ考現学では南北軸に加えて東西の性化が大阪の街の厚みを増すと提起してきました。
今回の調査では、ハルカスが出来た天王寺・あべのは健闘しているモノの心斎橋は60歳代の支持が低下し、梅田一極集中が進行しています。地元客の離反は深刻です。
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21.「新なにわ考現学2014」C
大阪の「ヒガシ」と「ニシ」 2015年6月
東西軸の「ヒガシ」の拠点であるOBPではあらたな仕切り直しが始まっています。また大坂城公園も観光客の賑わいに対しさまざまなサービスが整備されてきています。
「ニシ」は中之島西部地区なのですが、京阪中之島線の延伸をまだ充分に生かし切れていないようです。さらに西に延伸する計画もありますが、さてどうなるでしょうね。
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22.「新なにわ考現学2014」C
2030年の大阪未来予測 人口減少社会の中での大阪
2015年9月
2030年の人口減少社会に向けて大阪は東京とは又違った対応策を講じる必要があります。大きな国家イベントに頼るのでは無く、オール関西での連携した魅力づくりが必要だと思います。オリンピックの後の日本社会全体の課題なので、集中によってポテンシャルを維持する東京とは違ったスタイルが求められます。
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23.外資置くと中食の間〜新しい「交流」の場としての「イートイン」
外食の衰退と中食からの変化 2015年12月
不況に強いといわれていた外食産業が不振です。人手不足が大きな要因だと思われていますが、消費者のお財布のひもが固くなっていることは見逃せません。
惣菜を持ち帰る「中食」もいいのですが、食事には人との交流という役割もあります。当初観光客への試食の場として注目していたイートインですが、コンビニやスーパーにも拡がって食のスタイルとして定着してきた感があります。
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24.「中古品」リユース市場への大手企業の参入と「消費」の構造変化
2016年3月
コメ兵、ハードオフなどの店舗から個人売買のメルカリの興世まで、消費者の中に中古品の使用について抵抗感がなくなってきています。「シェア」エコノミーは定着してきています。〜前回に続いて貧乏くさい話題ですね…これらの事象を貧乏くさいと考えるのは古い昭和世代です。当社の調査ではファッションリーダー層でも中古品の使用には全く抵抗はありません。世の中は変わってきているのです。まあ、不況である事は間違いないですけれどね。
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25.街の名称とブランディング
関係づくりの鍵として見直される「地名」のちから 2016年6月
あちこちで古い町名の復活の動きが顕著になっています。地名にはそこで暮らした人の「想い」が集約されています。
時代に合わせて街の役割は変わっていきますが「地名」には世代を超えて人々の心を繋ぐ求心力があります。うまく活用することが重要です。
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26.サービス業の流通革命
「シェアリングエコノミー」が働き方も変えていく 2016年9月
ウーバーや民泊が話題になった頃です。日本ではウーバーはまだ定着していませんが、民泊は瞬く間に拡がっています。自宅をお客様に開放すると言うよりマンション投資のひちおつの形態だというのが残念ですが、サービスについてもCtoCの市場が形成されてきています。これはグローバルな流れで止められないのでしょうね。
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27.70年大阪万博(日本万国博覧会)のレガシー 2016年12月
ポスト東京オリンピックの国家的なイベントとしてこの頃から急に「大阪万博」誘致が取り沙汰されるようになりました。関西人は「万博」には特別な思い入れがあります。
国がバックアップして、吉本興業の芸人さんも盛り上げていますが、地元ではいまひとつ気持ちが乗らない空気があります。70年と違い地元をリードする民間企業がなくなって居ることが大きいでしょうね。かつてサントリーの佐治社長が「持ち寄り散財」と表現したように、社会的使命感を持ったオーナー社長がいなくなったことは大きいでしょう。「万博」〜「カジノ」で儲けたいとういう、さもしい心根だけが一人歩きしています。
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■関西復権を考える 2006年9月〜2010年3月まで連載
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1.「大阪」その過去現在未来〜20年間の大阪の変化 2006年9月号
2011年前後に梅田周辺を中心に大型開発が進む梅田を中心に、過去20年間の大阪の都市の変化と今後の開発計画のによる変化について、歴史的、長期的な視点から考察する。 |
2.都市間競争の新しい局面 2006年10月号
「都心」利用率の長期的な低落傾向は、都市居住者の増加とあいまって、従来の「郊外」と「都心」の対立モデルだけでは解き明かせない「街」の使い分けのあり方を示している。消費されるだけの街ではなく、街に暮らす人がブランド力になる時代が始まっている。
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3.都市居住が大阪を再生させる 2007年1月号
注目される大都市の都心居住。イメージではシニア層の都心回帰が取りざたされているが、実際は若年層や30〜40才代の流入が多い。都心居住によって生み出される消費行動や文化活動は新しい都市文化を生み出す可能性がある。
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4.個性を持つ都市間の融合が関西復権の推進力となる 2007年5月
個性の違いが健在である京阪神の3都市と、都市の「間」の郊外都市の文化が関西の魅力を形成している。大阪は異なった文化をつなぐ場としての役割が歴史的に強い。これからの発展の為には広域関西に加えて「名古屋」と「大阪」の間「名阪間」のつながりを強めていくことが重要になる。
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5.人の流れから街の変化を解読する
〜大阪を事例にした「まち再生」の注目ポイント
2007年8月
繁華街の構造として都市をショッピングセンターになぞらえるたとえがあるが、大きな商業集積の高密度の集積が街を活性化させるのではなく、集積の間の筋と通りの個性が「街」を再生させる。阪神西大阪線、京阪中之島線などの新しい東西のマストラや自転車通勤、都心居住などの進行が、面としての魅力を形成する。
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6.広域ミナミの開発からミナミ復権の新展開が始まる 2007年12月
30年の時間をかけて再開発が進んでいる「あべの再開発」。大型開発の計画がめじろおしでのキタ(梅田地区)に比べて、注目度がいまひとつのミナミだが、あべの再開発と時期を前後した近鉄百貨店の建て替え、また上本町地区への新歌舞伎座移転など、歴史文化の背景のある「上町台地」との連携によって、「なんば」から拡がる広域のミナミの復権の新しい展開が見える。
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7.「シャープ堺新工場3,800億円投資」で注目される「ものづくり産業」の 関西回帰〜工場三法の足かせがとけ、始まってきた関西経済の反転攻勢 2008年4月
堺市におけるシャープの液晶コンビナートの建設、パナソニックによる尼崎市へのプラズマディスプレイ工場の増設、さらに姫路市への液晶パネル工場の建設など、永らく低迷していた関西のものづくりへの投資がここに来て急速に活発化している。「工場三法」による規制が撤廃緩和されたところに、3つの空港と高速道路網の整備、人的資源が豊富な関西地区の優位性があらためて見直されている。今後、直接的な波及効果と共に、人口増加とそれにともなうホテル、住宅建設などで、周辺地域およびエリア内のブラウンフィールドの活性化が期待される。
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8.キレイな大阪が発見される水と緑の東西軸 2008年8月
大阪のパブリックイメージは「汚く」「ごみごみした」街だが、中之島界隈の新しい動きは水と緑を活用したきわめてわかりやすい「キレイ」さに満ちている。歴史文化を背景として誰でも直感的に好感を持つ緑の連携や、」水上空間の活用、光のライトアップなどまず好感度をアップしてその後にゆっくりと歴史の深みや人のあたたかさを知ってもらうというアプローチは今までにない手法で効果をあげることだろう。「こてこての大阪」というステレオタイプのイメージからの脱皮が必要。
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9.「くいだおれ太郎」の転職と再生に向かう道頓堀 2008年12月
「くいだおれ太郎」はひとつの食堂の看板人形としては珍しく、全国的な知名度を持つキャラクターとなった。今年は店の閉店が発表され、人形の転職先が話題になった。
「くいだおれ太郎が」キャラクターとして活躍したのは「道頓堀」の衰退が背景にある。
現在、観光地として賑わっている「道頓堀」も次の変化を始める時期に来ている。
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10.阪神なんば線開業で深まる関西の絆が「神戸」の再生にパワーを与える
2009年2月
震災以降「エキゾチック神戸」の都市イメージが衰退している。ハード面の復興が進んでも「神戸」に「魂」を入れる作業が残されている。
阪神なんば線の開通は三宮と奈良を、なんば経由で直通でつなぐ、関西の中での連携が「神戸」を再生する引き金になる。 |
11.沿線の活性化に期待がかかる「阪神なんば線」のこれから
2009年6月
関西では数少ない私鉄勘の相互直通運転は、異なった沿線分んかの融合を産み、関西の文化を活性化させる。
沿線の大阪西地区では「岩崎橋地区」「中島地区」といった2つの大きな再開発地区があり、これらが今後指導を始める。大阪なんば駅周辺は道頓堀の整備が進み水辺空間のアメニティを背景に、「ミナミ」広域の人の流れの変化が進んでいく。
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12.激しくなってきrた関西の集客競争
「京都」と「奈良」歴史文化活用からその先への展開へ
2009年9月
京都に比べて観光客の入れ込み数が少ない古都奈良。2010年には平城遷都1300年記念事業が予定されていました。
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13.逆風の中で少しづつ変化している大阪のこれから
〜「関西復権」の中間検証 2009年12月
新線開発、都心居住の進行とパネルベイから電池の集積「グリーンベイ」への進化など関西、大阪の未来にまだ明るい期待を持てていた時期でした。、
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14.「関西」と「中部」の間から〜境界を超えることで地域ルネサンスを
2010年3月
リニア開業を控えた中部地区との連携を強めることで「文化首都」の確立を提言したモノです。大阪だけ、関西だけの利害を考えるだけでは地方分権は進まない〜今でも当社はそう考えています。
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