株式会社ANALOG 市場調査から戦略構築まで現場をサポートするマイクロシンクタンク
エリアマーケティング・商業開発・まちづくり
(sano@analog-corp.com) |
■地域物産のブランド化は東京を見てはいけない〜東京からは日本が見えないD |
WEBに対する対照的な態度
かつて、企業に経営情報システムを導入し、サプライチェーンネットワークを完備すれば未来はバラ色だと明るく語っていたのはシステムを売り込む商売をしている人達でした。現在、WEBの可能性を明るく語るのは「本」を売りたい人達で、、WEBの現場でで商売をしている人達は、WEB2.0の可能性に冷笑的です。集合知とか、顧客とのインタラクティブな関係作りなどの理想と現実のギャップに苦しんでいる為でしょうか。「ネットのヘビーユーザーは暇人」とか、「アルファブロガーはマーケットリーダーではない」とか確かに言われてみればそうかも・・・・と思える決めつけが強くなります。
そうはいうものの、実際の仕事で、お客様とのやりとりや情報収集、定期的な情報発信にインターネットは欠かせません。実際の商売を補完する道具としてはとても便利です。WEBに対する態度の違い、期待の違いはWEBを他の活動の一部と割り切るか、WEB上ですべてを完結させようと無謀な努力をする(させられる)かで、分かれてくるのかも知れません。
余談ですが
WEBは簡単な調べ物をするのには便利なのですが、少し古いことに遡ったり、今の社会では少数派に属する知見をを参照する時にはとても不便です。大きな流れの中で考えないと見えてこないことが沢山あります。現在最悪の状況にある「百貨店についてもせめて10年〜20年の流れをみて考えると、同じ失敗を何度も繰り返していることがわかります。
地方の生産者は美味しい物を食べているか?
「地方の生産者は美味しい物を食べている」はず・・・という事で地域の食材や、地域だけで流通している加工品を何とか発掘できないかと情報収集してきました。
地域の特産品を食べても必ずしも美味しいものばかりではありません。料理の下手な地域も沢山存在します。
「地方の生産者は美味しい物を食べている」というのいは幻想では無いかとさえ思うようになりました。
先日、ある人に「地域の生産者は美味しい物を食べていても自分たちでは気がついていない」のだと教えていただきました。・・・・それは確かにありそうなことです。
気がついていない「美味しい物」「地域の価値」は他者という鏡を通じてしか見えないのでしょう。今までは大消費地であり、マスコミが集中する東京にいかに発見してもらえるかが大事なポイントだったのかもしれません。東京に地域の産品を売り込むのが知事の仕事と勘違いする人も世の中にはいます。
地域産品のブランド化はビジネスベースには乗せにくい
農林水産省や大手広告代理店が地域産品のブランド化や商品化に乗り出していますが、東京の市場にのせること前提にすると、量がまとまらない物が多く、安定供給に不安のあるという点で困難が多いようです。何よりもかけたコストにみあうリターンが少ないので東京から出向いて商売にするのは難しいと思います。
まずは周辺の都道府県を巻き込んだ広域の地域圏で足元を固め、ネットで全国的に発信するというステップが有効なのではないかと考えています。
冒頭に記述したようにいきなりWEBだけで完結させようとするとお客様の顔が見えなくなります。
例えば、北海道小樽のチーズケーキ「ルタオ」は小樽の店舗〜催事販売〜ネット販売の強化というステップを踏んでいます。
(2009年6月30日)
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■「本物」と「本物らしきもの」の虚実の間(あわい) |
「本当は古くさい本場パリのお菓子」
フランスではお菓子に生クリームを使うことはあまり無いそうです。昔にパリで修行した職人さんはロールケーキに巻き込むのもバタークリームを使います。最近の日本での流行は甘みを抑えた生クリームたっぷりのロールケーキですが、本格的なフランス流を意識した職人さんは頑固にバタークリームを使います。
そういった頑固さは一概に悪いことではないのですが、やはり選ぶとしたら美味しい生クリームのケーキを選びます。(去年の夏に滞在していたアメリカ人の高校生の女の子は甘さの少ない生クリームのケーキは全く受け付けなかったようです。オレオクッキーを油で揚げて食べているようですから、はっきりした甘みがあるのが好きなのでしょう)
流行遅れで開業当時は評判の悪かった近代建築ビル
中之島のダイビル本館(大正14年)はいよいよ取り壊されます。ビル内の昔のオフィスビルの匂いのする品のある雰囲気とともに、外部の手の込んだ装飾物などはもう取り戻せない物なのでとても残念ですが、建築家、建築史家の業界での評価は意外に低いようです。建築当時そのスタイルはすでに「流行遅れ」で新しい物ではなかったというのがその理由です。
その意味では大阪中央郵便局の建物(昭和14年)の評価が高いのと対照的です。陰気くさく、人気のないビルでありながら一部保存という折衷案をとられた因縁のビルですが、これから100年愛される新しいデザインのビルであって欲しいと考える素人と、正当な本物を保存すべきとする専門家のギャップはここにも見られます。
本当の本物とは
大阪のシンボルである大阪城も、浅草のシンボルである雷門もあとから建てられたコンクリート製の「非本物」です。
それらはかつては確かにそこにあった「何か」のシンボルとして機能し、本物でなくても愛着を持たれているのだと思います。その分野に詳しい専門家や「オタク」はトリビアルな正当性や歴史の事実にこだわることで「価値」の本質が見えていないのだと思います。
フランスのお菓子でかつて、生クリームが何故使われなかったのか、その理由を考えればこれからのお菓子はどんな新しい価値を持つべきかわかるはずです。中央郵便局の保存が一部の専門家以外に何故拡がりを持てなっかったのか?その理由を考えれば「市民」に守られる町並みのあり方に回答がえられるはずです。
表面にあらわれている「トレンド」の移り変わりに右顧左眄するのではなく日々「本質」をみる訓練を続けなければと自戒しながら堂島ロールをつまみます。マダムシンコのブリュレは口が曲がるほど甘いのでアメリカ人にも、うけるでしょうか。
(2009年6月29日)
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■ブランドが消えていく中で、新しくブランド化されていくもの |
ブランドが消えていくと小売業が変わる
ブランドが消えていく市場について水口健二先生は2つの分野をあげられています。
ひとつは商品の「部品化」 料理をしない人が増えてくると、例えば醤油という商品はお弁当だったり、総菜の肉じゃがだったり、めんつゆと言う形で生活者に消費されます。同じようなことは自動車のスピーカーやタイヤ、システムキッチンのレンジやオーブン、携帯電話のカメラ、レンズなどにも現れてきています。この「需要」が伸びてくると確立したはずの商品ブランドの足場が崩れてきます。
もう一つは折角ブランド化したのにまたもとの「その種商品」(コモデティ)に戻ってしまう場合です。
事例として、ミネラルウォーターがあげられています。「六甲の天然水」「南アルプスの天然水」「エビアン」などブランドを気にしていた物ですが、最近は確かに価格で選ぶようになってきています。最近は低価格PBが台頭しています。カップラーメンやハムソーセージといった加工食品にもその傾向はあらわれています。商品自体が選択される違いをもたなくなってくると、価格とどこで買うかという利便性だけが選択基準となってきます。
ここでポイントとなってくるのは、「買う」という行為は楽しみか、義務的な役務かという違いです。家庭における毎日の食材や消耗品の調達と考えればそれば苦役でありできれば時間をかけずにすませたい・・・・。郊外の大型ショッピングモールのGMSやSSMは広い売り場ではあるけれど「効率化が徹底されていて」商品数が絞られ同じ商品が大量に陳列されいて選ぶ楽しさがまったくありません。
そこに並ぶのは必然的に安い価格のPBで、できればネットで注文し宅配してくれるならそれですませたい商品群です。
新しくブランド化されていく物
反面、ブランド化が進んでいるのが農林水産物です。農林水産省知的財産戦略本部という組織もあり、かなり強力に後押ししているようです。
農林水産物は本来、多品種少量生産物であり、自然条件に左右され規格化になじまないものでした。高度成長期にスーパーマーケットガ台頭し、コールド・チェーン等の物流が整備されてきたなかで、産品の規格化・大量生産化が進みブランドが登場するようになったといわれます。(とよのかイチゴ、桃太郎トマト等)
80年代頃から大量生産品・規格品との差別化として特別な生産法や、地域の特徴などを前面に出した農産物のブランド化が始まりだし、近年は「黒豚」とか「○○牛」でからさらに細分化され生産者がブランドになるところまで進んでいます。
小売業の店頭でそのこだわりを情報発信をするとかなりうるさいので、やはりネット販売など顧客との関係が密なチャネルが中心になるのがこのブランド商品の特徴でしょう。
ただマニアックになればなるほど一般的な生活者の中での存在は希薄になってしまいます。テレビドラマ化された「神の雫」はその細部にわたるうんちくがマニアにはヒットしてもテレビ視聴者には受け入れられないので視聴率が低迷したのだと考えています。マニアに評価される正しいもの、価値のある物を一般的に広めるには、もうひとつインターフェイスが必要です。
インターネット上のアルファブロガーにはその役割は無理です。閉じた情報回路の中のオピニオンリーダーであっても一般生活者との接点はないからです。
そのインターフェィスの役割はやはり顧客との顔をつきあわせた接点の人間にあると思います。
コストダウンの為にパート化された店頭ではその役割ははたせません。
(2009年6月26日)
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■「コスパ」の高い店の意味を考える |
最近増えてきた「コスパ」という評価
情報誌などで、コスパ=コストパフォーマンスの高い店という表現が多く見られる様になってきました。グルメ関係のブログでも多用されています。先だっての不況の時は「食べ放題」とか「激安」といった特集が多かったのですが、安ければいいというものではないというニュアンスなのでしょうか。
値段の割にお得ということは、値段の割に美味しいとか、値段の割にボリュームがあるといった意味が複合しバランスがとれているという事なのでしょう。
値段の割に特に美味しくなかったり、値段の割にボリュームが少なかったりする店が数多くあることへの不満の裏返しなのでしょう。
デフレの中で小売店も消費者も折り合いのつく価格帯を探しあぐねている
グルメだけでなく、ファッション商品でもお財布の状況が厳しくなる中で、単に安ければいいのではないという意識が現れ始めていると思います。昔のように百貨店でなければとかとかこの位の価格でないと安物と思われるといった先入観はなくなっていますが、安い商品はそれなりの素材、縫製であることもよく分かっています。
アウトレットモールが盛況なのは名の通ったブランドであれば安心、恥ずかしくないというお値打ちの保証をもとめているように思います。最近増えてきた「リユース」=中古品のショップでも有名ブランド品が売れ筋だと聞きます。
今の時点では売上の低迷の中で小売り各社とも低価格品に一斉にシフトしていますが、少し落ち着いてきたときにコストパフォーマンスの「パフォーマンス」の部分で選別されることになります。
(2009年6月25日) |
■「主張する売場」は何だか小うるさい〜顧客接点での過剰発信 |
書店の店頭がこざかしいPRの場になってきている
チェーン書店の店頭がなんあだか安っぽいPRの「仕掛け」の場になってきています。出版社の本のポスターやPOPはまだ理解できます。書店員さんのおすすめというPOPも好感が持てます。本や、雑誌への愛情が伝わるからです。
本好きとして気に障るのは、特定の思想や宗教を宣伝する手段として刊行されている「雑誌」や「本」が長期にわたって平積みされそのPOPが前面でたままになっていることです。雑誌などはバックナンバーを含めて平積みになっているので明らかに何らかの場所代が支払われている事が伺えます。(別に政治思想や宗教に文句をつける気はさらさらないのですが)
〜(淀屋橋O内のB堂で観察した事例です。微妙に偏りのある品揃えはこの店のポリシーなのかもしれません。まあ、大手のJ堂でもその傾向はみられますが・・・)
PR会社のたてたPR戦略(笑)があからさまに透けて見えていてマクドナルドの行列騒ぎと同じようなあざとさを感じます。
最近、雑誌は昔の少年まんが雑誌のような、おまけ付きの雑誌が増えていたり、著者の顔写真がやたら目立つ書籍がベストセラー上位をしめていて店頭がやたらにぎやかなのですが・・・・はっきりいいて品がなくて落ち着きません。
書店は平積みする本のセレクトで控えめに主張をしてもらいたいものです。そうでなければ、いっそヴィレッジバンガードのようにサブカルチャーの本と雑貨がミックスされた主張が強すぎる店のほうが潔いでしょう。
あざといPRの場で小金を稼いでいると思うと利用者としては馬鹿にされているような気がします。
スーパー店頭での情報提供の進化は小うるさいだけ
食品の安全安心への保証、生産者のこだわりの訴求などを狙って、店頭でのPOPでの生産者紹介は今や目新しい手法ではなくなっています。小型液晶テレビでの映像での紹介や、バーコードを読み取ると生産履歴が表示されるなど先端の部分はどんどん先に進化しています。
http://www.blwisdom.com/btrend/01/ へのリンク
対面販売の店舗では販売員が口頭で説明できますが、セルフサービスのチェーン店では店頭でできるだけ多くの情報を伝えようという意図なのかも知れません。ただ、店頭でそれを語られても小うるさいだけです。
安心・安全は当たり前です。企業としてのメッセージを伝える媒体と、店頭で生活者が商品選択のために欲しい情報を提供する媒体は違います。チェーンストアで買う普段の買い物で、例えば牛肉を選ぶ際「近江牛」であれ「山形牛」であれ美味しい肉が選びたいので、「肉のうんちく」とか「生産者の顔」などは関係ない情報なのです。
ましてや、店頭に」液晶ビジョンをおかれるとメーカーのコマーシャル映像が大量に流れるブレードランナー状態になることは目に見えています。
私もPRの仕事をしますから送り手の思考回路はわかりますが、相手に求められていない情報を押しつけるのはPRの本道ではないでしょう。
(2009年6月24日) |
■縮む市場と拡大する市場〜ボリュームではかれない市場規模 |
エンディング市場は成長産業ではない
高齢社会が進む中で「葬儀」関連産業は安定して需要が発生し、お金を持った高齢者が多い「成長産業」だと思われてきました。(不謹慎な表現ではありますが、人の死に関わる「エンディング」を事業機会としか考えない人は世の中に多く存在します)
この市場に対する錯覚として、「高齢者」が増加しているということは「お亡くなりにならないで」生きて生活しているという事実です。今までなら60代〜70代で無くなっておられた方が80代から90代まで元気に過ごされることで「ビジネスチャンス」(不謹慎)が先送りされているという事があげられます。〜80歳の方の余命が20年といわれても不思議ではないですよね
その事の影響は「葬儀」にも現れています。リタイヤして20年以上たった人の葬儀は身内だけで行う「家族葬」が増えており葬儀の規模の縮小化が話題になっていました。最近では葬儀を行わず病院から火葬場へ直行する「直葬」(ちょくそう)が
東京23区内では10〜35%を占めるといわれています。
今までの葬儀が「死者の魂を鎮め、祟らないようにする」とおいう宗教的な儀礼の範疇を超えて華美に流れすぎていたいたのかもしれませんが、「粗大ゴミ」の処理のような扱いもいかがなものかと思います。高齢者の生活不安が深刻な事もあり「葬儀」関連市場の縮小は避けられないものであるようです。
子供市場は拡大市場
対照的に「ベビー・子供」市場は少子化が進む中で拡大しています。6ポケットといわれて、両親、両親それぞれの両親のお財布から子供にお金が使われるといわれていましたが、最近では「ひいおばああちゃん」「ひいおじいちゃん」もお元気ですし(高齢化社会)、未婚のおじさん、おばさんもお金を使ってくれるので12ポケットぐらいはある状況です。
少子化+高齢化+未婚者の増加が生み出した市場拡大といえましょう。
今そこにある貧困ビジネス
誰もが、何かのきっかけで滑り台を滑り落ちるように「貧困」にからめとられる社会になってしまいました。少なくとも多くの人がそのような不安の中で暮らしています。
まじめに働いても年収200万円に満たない下流層を対象にした貧困ビジネスが拡大しています。
コスパの高い「メガマック」・・・・「メガマック」は価格で割ったカロリーが高いのでコスパの良い食材として愛用されているそうです。確かにお金があれば単品メニューをがっつり食べるより、いろんな種類の物を食べたいですよね。
180円のスニーカーと180円のポロシャツ・・・・靴のヒラキの定番アイテムです。中国の山奥で生産するのが秘訣とか・・・・。ユニクロは高級ブランドになってきました。
携帯無料ゲーム・・・・無料サイトで集められた名簿が商売になります
ファッション消費0円・・・おしゃれ好きのファッションスクール学生でさえ!!
繊研新聞社が全国のファッションスクール学生2、023人を対象にした「ファション意識調査」を発表しています。1ヶ月のファッション消費額を0円と回答した人が4%。1万円未満の合計は25%弱となっています。5万円以上使う学生は5.2%。おしゃれ好きのファッションスクール生でさえこの数字ですから服が売れないはずです。福の購入先としては古着屋、ネットオークション、フリーマケットが目立っているそうです。
賢い選択、合理的な選択をしてよりシンプルで無駄を省いた生活を選択していたつもりが、いつの間にかそれしか選べなくなっている事が多くなってきています。お金を使わなくても「豊かな暮らし」は実現できるのだと思いますが、お金がないから「ジャンクフードしか食えない」という貧しさはやるせないものがあります。
(2009年6月23日)
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■大規模マンションの商業開発〜立地にあったMD、販促の開発を |
千里中央の商業の変動
大阪北摂の副都心である千里中央は永い間新しい店舗の出店が無く無風状態の中にありました。2008年のヤマダ電機「LABI千里(売上目標300億円)の開業を契機にいくつかの動きが見られます。
現在建設中の「ザタワー千里」の下層階に阪急オアシスが7月に開店するようです。規模等は不明ですが、マンション住民を対象にした小規模な店舗になるようです。昨年、駅から5分の立地のDグラフォートに開業した大丸ピーコックも当初はピーコックの最新のMDで総菜や加工品などでも質の高い品揃えをおこなっていたのですが、最近は徐々に普通の品揃えに変わってきました。「高質スーパー」をうたう阪急オアシスがどのような店をつくるのか、そしてどれだけ続くのか注目されます。
千里中央から南へ5分ほどの上新田のパークヒルズと呼ばれるマンション群の「スーパーノダヤ」が撤退しその跡が埋まっていません。高質な品揃えを続けるのも大変ですが、普通の品揃えになると千里中央の既存の集積に勝てないというジレンマがあります。
マンション開発に付帯する食品小売業のありかた
ザ北浜タワーの食品スーパー「フレスト」も開業してまだ結果は出ていませんが、近隣住民の声では少し残念、離れていても南森町の「コーヨー」を利用するという評価も聞かれます。レベルとしては「パントリー」が欲しかったということです。
大規模マンション開発には商業やサービスなどの付帯施設が整備されることが多くなっています。特に、都心部では生活のインフラが失われていることも多いので、商業は必須となります。
住民の利便性に為にはコンビニエンスストアより少し大きな施設が望ましいのですが住民の利用だけに頼っていてはリスクの低いおもしろみの少ない店舗になってしまいます。周辺部の人を引きつけるMDやサービスを組み込んでいく必要があります。そんな立地が生まれてきたのは最近なので商業者にそのノウハウがまだまだ少ないのかもしれません。
(2009年6月22日)
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■集客装置・文化機能と街の活性化について@〜文化は商売になるか? |
心斎橋は文化不毛の地?
心斎橋そごうの閉鎖に伴い、心斎橋劇場も幕を閉じると言われています。容積率アップの為に設置された劇場と陰口をたたかれながらも、意欲的な公演を続けていたのですが、地元での盛り上がりに欠けていたせいでしょうか?いまひとつ注目されずに終わってしまった気がします。
心斎橋にはかつてパルコにイベントスペースがありイッセー尾形の公演もされていました。どういうわけかホール、映画館、大型書店が根付かない地域です。アメリカ村ビッグステップや道頓堀が近く、ホール・劇場の利用がそちらへ流れてしまう所為でしょうか。繁華街とビジネス街のエッジで人通りが多くても客層が定められない地域です。
いずれゆっくり検証いたしますが、「心斎橋筋商店街」が「一見の客から現金を吸い上げる」事にしか興味のない商売人が集まる街になってしまった事と深い関係があると思います。・・・・・これから、大丸はここで孤軍奮闘しなければなりません。
問題はビジネスの時間軸だと思います。儲けなくてもいいと言う話はないのですが長期的なレンジで利益をあげるという視点がどこかに組み込まれる必要があります。
明暗分けるお笑いの殿堂(週刊大阪日日新聞6/20)
大阪日日新聞と聞くと、かつて大阪梅田の地下街の壁にはりだされた地元夕刊紙の競合をなつかしく思い出します。いくつかの夕刊紙が競合して見出しの強烈さではりあっていました。今、「大阪日日新聞」は日本一安い日刊の朝刊紙と、無料配布される週刊新聞の形で発行されています。
6月20日付の紙面で「明暗分けるお笑いの殿堂」として京橋の「京橋花月」と天神橋の「天満天神繁昌亭」の事例が取り上げられていました。
座席数500,年間30万人の集客を目標としていた「京橋花月」はこれまでのところ予想を下回る集客数でかつ、花月の客は地元には金を落とさないと言われています。
上方落語協会が自ら募金活動を行って建設した「天満天神繁昌亭」は2006年9月のオープン以来44万3901人の入場者を集めており。土日の人出が1.5倍になったといわれています。(3年間で50万人というのは京橋花月の目標と比べて人数的には多いというわけでもありませんが)会場1周年の経済効果は116億円と試算されています。
もともと天神橋商店街は会長の土居年樹(たまいち土居陶器店社長)を先頭に空き店舗対策、地域でのイベントに熱心な地域でありまとまりも良かったことがプラスに働いたのでしょう。
紙面では地域の劇場に対する思い入れの温度差がこの差を生んでいるとしています。
地域に根を持たない「集客装置」などありえない
少し時間をかけて後日、文化機能と街の活性化についてまとめておきたいと思います。
京都駅近くの水族館計画についても、頭の中を整理して妥当性を論じたいと思います。「フェスティバルゲート計画」を聞いたときのような「?」が頭に浮かびます。繁華街では昔からあのようなアミューズメントの仕掛けを含んだビルはあったのですが、飽きられたときに改装が大変なのでたいがい永くは続きません。
(2009年6月19日)
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■沈み行く「黒船たち」〜景気後退下の外資系小売業のこれから |
エディバウアーの破産法申請
今朝のニュース速報でアメリカのエディバウアー社の破産法申請が報道されていました。2006年のアメリカのタワーレコードの店舗閉鎖でも日本法人は別会社なので事業を継続しているように、直ぐに店舗が無くなってしまうわけではありません。
ただ、先日のオフィスデポの店舗の一斉閉鎖の例もありますし、カルフールのイオンへの売却などの例もあります。かつて外資の進出が日本のの小売業界を壊滅的な状況に追い込むと思われていたことが、まるで嘘のようです。
赤字の続く大型店
日本の小売業も決して安泰ではないのですが、最もおそれられた「ウォルマート」も7期連続で最終赤字ですし、進出当時は「黒船」の象徴ともいわれた「トイザらス」も業績は低迷しています。
本国の事業も不振が続く中、なかなか収益の上がらない日本市場よりインドや中国といった伸び盛りの国に重点を移しているようです。
参入障壁はなんだったのか?
日本の市場への参入障壁は閉鎖的な流通構造、旧弊な取引慣行だといわれていました。はたしてそうだったのかと思います。日本の消費者は世界一品質にうるさいともいわれます。
外資系企業のスタイルはマニュアル遵守です。一度考え尽くして決めたマニュアルを正確に実行する。現場で余計なことを考えて時間を浪費しない・・・・かつて「流通革命」を標榜した日本のチェーンストアはその教えを忠実に守ったから成功したと語るグル(尊士)もおられます。
一方、小売業、外食産業の経営者がよく嘆かれるのは「現場のマネージャー、スタッフ」が考えて仕事をしないということです。もっと考えて仕事をすることをもとめています。
考えてみれば日本のあらゆる現場(建築現場、新聞販売店の毎日の配達、工場)はトラブルに際して現場が何とか帳尻をあわしてなりたっていたように思います。「現場での工夫」「現場での責任感」が日本社会の特徴なのだと思います。
グローバルスタンダードにあわせて決められた仕事だけをこなす、労働力のパーツ化の蹉跌がいわゆる「派遣問題」をうんだのでしょう。社会コストを含めると「派遣」や「外国人労働者」を増やすことは」短期的に企業のコストを低減させても社会コストの負担として企業及び、従業員に跳ね返ってくるというつけを支払わされているのが今の姿なのかも知れません。
タイトルにうたっっている「外資系小売業」のこれらについては稿をあらためます。
バブルの時にはサックスフィススアベニューを日本に持ってくるとか、Xホテルを日本に持ってくるとかのお話が沢山ありましたが、今となっては・・・・。
(2009年6月18日)
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■シニアと洋生菓子市場 |
低迷する店舗は高齢者層が増加している
味覚に関しては若者層や女性の新しい物への柔軟さに比較して男性、高齢者層の保守性が際だっています。
とはいえ男性に関しては今までカミングアウトしてこなかった「甘党」が堂々と自分の嗜好を主張できるほどになっています。コンビニでのスイーツの売上げは7割方男性が占めているともいわれています。
さて、高齢者層ではどうでしょう。洋生菓子を好んで食べる層は確かに増えては来ていますが、幼少時の味覚体験からうまれた好みは時代に合わないものなのかもしれません。「高齢者が増えた店」の売上げは横ばい、減少している店が多いようです。
団塊世代が高齢者になった現在でもこの傾向は変わらないと思います。
味覚の保守性は「お米」や「野菜」「魚」などの昔の時を覚えているという面では、本物の味を求める若い世代にも影響力があると思います。ただし、嗜好品の好みは世代間のズレはなかなか埋まらないのかも知れません。
(2009年6月17日)
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図ー洋生菓子店の売上げの伸び高別購入者層
(1998年 需要動向調査)
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■コモデティ商品のブランディングの課題〜お米をプロデュース? |
コモディティ商品(日用品などの必需品でメーカーの違いではなく価格だけで選択されるようになった商品)の増加
この経済環境の中、流通各社の低価格PBの強化などにより、ブランドとして確立していた商品がどんどんコモディティ商品になってきています。インスタントラーメン、マヨネーズなどの調味料、ジーンズ、機能性肌着、洗剤等々。
また、高級ファッションブランドもアウトレットモールでの販売額が増えるにつれ、本来の在庫処理機能ではなく、アウトレット用の低価格商品の販売にウェートがかかるようになり本来のブランド価値が薄まってきています。
かつてはブランドは「資産」ともいわれていました。「強いブランドは破壊的な価格競争に巻き込まれずにすむ唯一の手段だ」と説明している学者もいます。「確立されたブランドは安泰ではない」と喝破したのは昨年なくなった水口健二先生です。
ブランドは認知とイメージ?
ブランドとは認知とイメージであるというとらえ方が従来の主流です。単品の商品の認知率をあげて、イメージを徹底すればブランドの価値があがるという「商品単品」を中心にした発想です。
「ブランドは選択のてがかり、信頼の根拠である」という水口先生の定義に従うと、ブランド価値は商品単品だけではなくもっと幅広い「接点」が形成するものだという視点がひらけます。
「お米をプロデュース」
私たちのもっとも身近な商品。「お米」を事例に考えてみましょう。お米のブランドとして「コシヒカリ」「ササニシキ」が出回ったときに始めてお米に「ブランド」が出現しました。「美味しいご飯を食べたい時、少し贅沢してコシヒカリ」を買ってみようという選択の手がかり、信頼の根拠がうまれたわけです。
今、店頭にならんでいる商品はほとんど「コシヒカリ」という状態になると、ブランドが選択基準にならなくなってしまいます。さらに「新潟産のコシヒカリ」「新潟県魚沼産のコシヒカリ」とブランドの説明がながくなってきています。
最先端の部分では新潟県の魚沼のこの田んぼで、カリスマ生産者A氏がこだわりの特別な農法で生産した2008年の当たり年のお米で、1kg1万円・・・・といったビンテージワインのような世界に入っています。(ここまで極端でなくても、こだわり農法のお米は美味しいのですが)・・・・・・・これは日常の生活用品とは違う世界のビジネスです。
「単品の商品」だけでなく「接点」が形成するブランド価値?
ソリューション型の物販店、カテゴリーを超える品揃えとサービスの店での情報発信
お客様は毎日の食卓を豊かな物にしたいと考えているので「コシヒカリ」を求めているわけではありません。日本の家庭の食卓が「壊れかけている」という衝撃的なレポートもありました。最近ではノッケメシということでご飯の上におかずになる物をのせただけの食事も話題になっています。
一方で、伝統的な食生活への回帰もまちがいなくあります。流行にも対応しながら、良い食事習慣を創り上げる事が、お米の生産者、流通業者の使命であるかも知れません。ご飯のかかちでの提供、ABCクッキングスタジオなど料理に関心のある人が集まる場での商品供給、高齢者向けの冷凍食品通販での提供等々、今までとは違ったチャネルで接点を広げていく事が必要です。
情報接点でのブランド化
お米の選択基準について、私たちはほとんど情報を持っていません。食に関心がある人が調べてみても実に沢山の生産者が自分のところのやり方が一番だと主張しています。実際に食べ比べて自分で選ぶしかないのでしょうが、料理によっても適切な品種が違うでしょうし、保存方法によっても味がまった全然違います。
今、世の中にあるお米の情報は「品種」の特徴であったり「生産方法」の特徴と言った生産者がわの伝えたいことばかりです。あきらかにずれがあります。
生活者が欲しい情報をきちんと伝えるポータルサイトになれば、生産者、流通業者としてのブランド確立への道が開けると考えます。
「通念への反論」水口健二著 プレジデント社を基本テキストに、最近急速に進んでいるブランドの行きすぎたコモディティ化 への対策を考えてみました。 (2009年6月16日)
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■大阪の「下町」といったらどこ? |
山の手と下町を大阪にあてはめると
山の手と下町と言った対比で都市を語ることができるのは「東京」独特の分類なのだと思います。
土地の高低差によって区分する分類する基準に従えば、神戸でも、京都でも大阪でもより高い場所に裕福な人が居住し、街の雰囲気も落ち着いたイメージがあるという法則性があります。
東京の人に京阪神の街の構造や性格を説明するときに「山の手」「下町」に無理矢理でも例えると伝わりやすい面もあります。
大阪市内では、難波の宮や大阪城のある上町台地から阿倍野、帝塚山あたりが東京でいう「山の手」に近いのかも知れません。ただ、近代になって工業都市化した大阪の生活環境の悪化に伴い、お金持ちはさっさと「芦屋」や堺の「浜寺」に住宅を移してしまったので大阪市内の「山の手」は「高級住宅地」としての面影は薄れています。
辞書で調べると「下町」の定義は次のようになされています。
都市の市街地のうち、低地にある地区。主に商工業者などが多く住んでいる町。東京では東京湾側に近い下谷・浅草・神 田・日本橋・深川などの地域をいう」ただし、現在のイメージでは千葉県に隣接する葛飾区の柴又や亀有も下町に含まれ、 昭和35年に新設されたコンクリートづくりの「浅草雷門」が「下町」のシンボルになっていますから。今の時代に即した「下
町」の定義が必要なのかも知れません。懐かしく人情の温かい街という「幻想的な印象」に強く支配されています。善悪2元 論で語られるときに山の手は偽善で下町は善となります。何故このようなイメージが形成されてきたのでしょうか?
ダウンタウンと下町
英語のダウンタウンは「都市の商業地」「繁華街」を意味しています。土地の高低差は関係なく、地理上の位置関係で「ダウン」(下ル)という言葉が入っているため、よく混同されるようです。
浅草は雷門周辺は繁華街であり、「つくられた観光地」ではありますが、少し離れると「太鼓屋」さんがあったり、地場産業の職人さんや地域住民の生活の場が残っています。
大阪で対比されるのは「ジャリンコちえ」のイメージの強い、通天閣周辺の新世界から天下茶屋界隈でしょうか。なんば千日前界隈は大衆的な繁華街ではあっても住んでいる人はいないですし、生活文化も残っていません。
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商業と工業、住宅が混在し、古くからの住民が今でも居住し、生活の文化も残っている。そいて「かつて賑やかだった商業地」(そして遊郭のあとも)を抱えているというポイントで東京の下町に似たエリアを探すなら、阪神なんば線の沿線なのかも知れません。昔は西の心斎橋ともいわれた九条商店街。市電やガス会社、紡績工場などの近代大阪発祥の地の集積など・・・・尼崎まで伸びている沿線は、東京の下町の一部と似ているかも知れません。尼崎出身の漫才師も意識してか「ダウンタウン」というコンビ名をつけていますね。
無理にこじつける必要はないのでしょうが、関東の人に土地の特性をご説明しているうちに「似ているところ」と「違っているところ」を考え始めるようになりました。何故違う形で発達したか?地政学や社会組織、産業構造などの相関が見えてくれば、将来の街の発展の方向性が見えてきそうです。
(2009年6月15日)
今人気沸騰の万城目先生の「プリンセストヨトミ」の舞台「空堀商店街」は東京で言うところの「下町」のイメージに近いですね。福島とか中崎町はちょっと違うような気がします。阿倍野区昭和町とか松虫あたりでしょうか。東住吉区駒川商店街は・・・・?
東京では物価の安い足立区とかを「新下町」と呼ぶらしいです。大阪では西成区、堺市、岸和田市だとか・・・。何か違うような気がしますが。
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■経営破綻の教訓を活かす〜失敗にこそ未来への糸口がある |
大阪市第3セクター経営破綻の教訓
誰もいまさら触れたくはないでしょうが、過去の失敗についてきちんと精査して次の計画に活かさないと、羮に懲りて膾を吹いたり、性懲りもなく同じ失敗を繰り返す事では次の世代への責任も」果たせません。
これらの計画の一部には深く関わってましたし、時代の雰囲気というのもありました。誰かを責めるための検証ではなく、よりよい計画をつくるために振り返っておく必要があると思います。
アジア太平洋トレードセンター(ATC)と大阪ワールドトレードセンター(WTC)の破綻について大阪市立大学のワークショップで取り上げられていますので、それをベースにこれからの課題をまとめていきたいと思います。
(
(大阪市立大学創造都市研究科hp 立命館大学 森裕之氏のワークショップより)
http://www.gscc-upp.jp/2004Japanese/20041105.doc へのリンク
ATCの設立経緯
(3セクとなった理由)
・ATC事業は「国際物流拠点」「アメニティゾーン(集客機能)」の構築を目指す。この分野の民間の営業・経営上の
専門的ノウハウを活かす。
・世界の中小企業が大阪を舞台とするビジネスチャンスを拡大することで大阪経済の国際化・活性化に資する。その為
公共セクターとして関わる。
(失敗の原因)
・バブル崩壊による景気失速
・公共交通アクセスの整備の遅れによる低調なテナント入居
・「会員制の卸売りマート」事業の見込み違い。(バイヤーを集めきれなかった)方針転換で小売り導入
「卸売り」機能自体が転換点にあった・・・・
・資本金に比べて多額の借り入れを行って事業資金を調達した結果、収益低下の中で利子負担が経営を悪化させる悪循環
を呼んだ事が最大の理由。
私は中核となる「会員制卸売りマート」事業という新しい形態のビジネスについて、コンセプト及び事業計画のフィジビリティスタディが十分でなかったのだと思います。
卸売り機能は役割は変わってもまだその社会的機能は必要とされています。新しい役割が描き出せれば、この立地で良かったのか、この建物で良かったのか、必要なソフトは何なのか仕込んでおくことが出来たはずです。
梅田北ヤード計画についてのチェックポイント
今現在の動きはあまり詳しく発表されていません。先日、事業期間が延びたので借入金を増やすと言う記事をみて少し心配になってきました。そうそうたる民間デベロッパーが集まったプロジェクトですが、核になるコンセプトをもう少し詰める必要があります。ATCは3セクだから、お役人が入ったから失敗したとは思っていません。最近の風潮で「官から民へ」が正しいと思われていますが、役人でも民間人でも優秀な人は優秀ですし、そうでない人はそうでないというのは当たり前の事実です。
問題は組織が寄り合い世帯になり大きくなると、あまり波風をたてたくないという空気が組織を覆うことです。
「ナレッジキャピタル」について私はまだよく分かりません。(恥ずかしながらついこないだまで、知識集約型産業へ投資する投資会社だと思っていました)
・どんな機能を集約したどんな組織ですか
・似たような機能は」どこにありますか、そこと違うのはどの点ですか
・何故、この立地が最適と考えますか
・シナジー効果はどの業種のどんな事業にあらわれますか
・見込める収益の最小金額と最大金額はどのくらいの幅がありますか
・投資どれくらいの期間で回収しますか
・今入居を表明している企業の将来性をどう評価しますか
・鉄道や環境整備のインフラは誰がどのように負担しますか
箱物開発は不要だとは思いません。ただし、箱物にかかる経費以上にソフト開発や都市機能のメンテナンスに
お金は必要です。関西のプロジェクトに対して「国」は助けてくれません。空港やオリンピック誘致の大阪や名古屋への対応と首都圏の対応の違いは身にしみているはずです。
地方分権を逆手にとって自助努力を求められますよ。
大阪だけでなく関西、地方復権の試金石となる事業なのでぜひとも成功してもらいたいと願います。計画に関してタブーのない議論が必要です。 (2009年6月12日)
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■街ナカ店舗に求められる日常性と回遊性 |
ザ北浜タワー商業施設は「フレスコ」
北浜の三越跡地に建設されているタワーマンションの低層部商業施設は、食品スーパーの「フレスコ」に決まり来週オープンするようです。当初、京阪百貨店や阪急百貨店の出店がとりざたされていましたが、最終的にコナミのスポーツクラブと食品スーパーに落ち着いたというところでしょうか。
大阪市内都心部では先日、松屋町に「スーパーライフ」がオープンしたように、タワーマンションなどで都心回帰が進む中で食品スーパーの新規出店が目立ちます。
都心で犬を散歩させている方の姿が多く見られるように、都心部で夜間人口が増加している実感はあります。本町や淀屋橋界隈のビジネス街でも個人営業の飲食店、パン洋菓子店などは多く見られるようになっています。食品スーパーももう少し都心よりに出店する店も増えてくるでしょう。
淀屋橋オドナの「人の出入り」を見る限りファッション関係の店舗や、価格帯の高いチェーン展開の飲食店は苦戦しているように見受けられます。今の経済環境が厳しいのと、少し日常性からずれているのかもしれません。書店「文教堂」は店舗の形状も不規則で気の毒な側面があります。
都心の変化はまだこれから
ビジネス街に居住者も増えて夜の人通りは幾分増加したように思います。
ただし、休日などに外からの人が吸引できているかと言えばまだまだです。日曜日は閉めている飲食店も多いです。うつぼ公園の整備がすすんだように、中之島公園が水都2009がらみで整備されれば、休日の人通りはまだ増えます。
個別店舗の吸引力だのみから脱皮し、エリアとしての回遊の楽しみができればいいのですが。 (2009年6月11日)
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■不況下で注目される「リユース事業」が需要を創造する |
「リユース市場」は3,400億円規模
「リサイクル」という言葉は中古品の流通にも使用されていますが、正確には「再資源化」を意味する言葉で、中古品の流通は正確には「リユース」と呼ばれています。自動車、自転車、本、骨董品では中古市場は既に確立していますが、それ以外の生活用品でも中古市場が注目されています。既に市場の確立している自動車などの4品目を除いたリユース市場は2007年度には年間3,400億円といわれています。(経済産業省「商業統計」)
2002年度に比べて60%も伸びています。
「ハードオフ」 総合リユースショップ 年間売上げ 418億円 613店舗
http://www.hardoff.co.jp/index.html へのリンク
「コメ兵」 ブランド品リユース 年間売上げ 221億円 9店舗
http://www.komehyo.co.jp/ へのリンク
その他カー用品、ゴルフ用品のリユース業者、8社が「日本リユース業協会」をこの4月に設立しています。今後、業界共通の査定資格の設定や、行政が発行する事業者免許の創設などを検討していくそうです。
環境意識、もったいない意識の高まり、若い層を中心に「中古品」への抵抗感が薄らいでいること、ゴミの処分費用負担などの要因に加えてこの不況下での節約志向も市場拡大を後押しする要因になっています。
家庭の中古衣料をリユース販売する古着店への注目高まる
今までの「古着屋」は海外の中古品を輸入し、個性が強くお客さんを選んでいるところがありました。最近は家庭内の普通の中古品を買い取り、販売しているお店が伸びてきています。
「ブックオフ」の子会社が運営している古着屋「ビンゴ」やトレージャーファクトリーの中古衣料雑貨専門「トレージャーファクトリースタイル」など、商品は数百円からブランド品では10万円と極端に安いわけではない。
家庭内のたんす在庫を「お金に換えられれば」「他人に活用して欲しい」というニーズが急増しているとか。
買取条件は「状態の良さ」「デザイン」「丈」が基本で「ブランド」は関係ないそうです。何か、ブックオフの本の扱いに似ていますね。
百貨店などでも「靴の下取りセール」「スーツの下取りセール」などの販売促進策が効果を上げています。これらのリユースショップを店舗やSCに導入すると家庭内の在庫が整理されて、新しい商品の販売につながることでしょう。
(2009年6月10日)
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■価格を抑えて収益を上げる「産直市場」の可能性と百貨店の経営形態の進化 |
ローコストの店舗に産地直送の生鮮食料品を集めた「産直市場よってって」(和歌山)
http://www.yottette.jp/ へのリンク
粗利は低い物の販売管理費を抑えて高い収益をあげているのが、和歌山をベースに店舗展開している「産直市場よってって」です。売場面積150坪で地元産の青果を中心に鮮魚、精肉、日配、グロサリー、弁当、総菜、パン、生花を扱っています。集中レジで精算しますから基本的に小型スーパーと変わらないイメージがあります。
青果の価格は市価の2〜3割引ですが、低価格商品ばかりではなく産地直送の価値を訴求している面があります。
月商4,000〜5,000万円。粗利益率は17.5%ですが、販売管理費は10.4%におさえられており営業利益率は7.1%確保しています。(ちなみにイトーヨカー堂の食品の祖利益率は2割程度、連結では営業利益率数%ですが本体だけでは1%を切っていますいます)http://www.otsu-international.com/contents_setthement_02.html へのリンク
社員1〜2人とパート5〜6人で回せるのは、商品の搬入、値付け、品だしまでを生産者が自ら行っているからです。また初期投資を7,000万円と低く抑えていることも利益をあげるい要因です。
生産者は店舗への委託手数料15〜15.5%支払っても、JAに出荷するより手どり収入が3〜4倍増えると言います。
消費者にとっても、生産者にとってもメリットのある仕組みで、今後FC展開を拡大していくということです。
(販売革新2009年5月号の記事をベースにしています)
流通業は不動産業と融合するのか?〜小売業のオペレーションと所有、経営の分業化がすすむ
「産直市場よってって」の運営会社 株式会社プラスはある意味でデベロッパーといえるのでしょうy、物流の共同化や売れ行きのいい生産者のスペースを拡大する調整など全体のバランスの調整を行うが毎日の運営の多くの部分は出店する生産者が行います。
前述のイトーヨカ堂もグループのコンビニはFC収入で営業利益率は10%を超えています。イオングループも本体よりもイオンモールの利益で支えられていることは周知の通りです。
百貨店でも島屋グループは東神開発によるデベロッパー収入を2本目の柱としていますし、昨日論じた「大丸」の売場も一部はテナント的な性格が強まります。阪急阪神グループでも今後「阪急商業開発」」の役割が高まっていくはずです。
これからの百貨店は「ブランディング」「MD」「経営」機能に特化し、日々のオペレーションは「元気のいい新しいテナント」と「百貨店としての売り方を継承するプロ販売員によるプロパー売場の運営事業体」に委ねられるようになっていくでしょう。
投資に関しては短期のリターンを求めるファンドではなく、長期的に街の価値をあげることで利益を得る地域あるいは、長期的なリターンを求める政府系ファンドが出資するという形になると思います。今のシティホテルがちょうどそのような経営形態です。
百貨店の内部の人からは「うちにそんなノウハウがあるのか?」と謙虚な疑問があがってくると思いますが、実は気がついていないだけで本当は「あるのですよ」。
(2009年6月9日)
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■様変わりする梅田の変化を勝手に予測する-2 |
「口あんぐり」の梅田北ヤード〜空想から科学への道程
「梅田北ヤード」には関西経済の命運がかかっています。しかし「大阪をアジアの首都に」とか「東京を凌駕する知的創造拠点へ」とかいった「高い」目標は掲げられても、具体的な道程はまだ見えていません。
都心に近く、交通の要所にある立地ですから、細切れの開発になってもつまらないし、高い土地価格に見合った良い機能が集約されて、素晴らしい街になること」を願ってやみません・・・・ただ、あまり完成を急いで多くの借金を抱えると還って、いい街の形成にマイナスになると思います。ぼちぼちやったらええのではないでしょうか。
さて、現在予測される商業集客機能ですが、最悪のパターンでは「新宿西口」とか「汐留」「OBP〜大阪ビジネスパーク」のパターンでなると思います。。大阪駅に近い、」ごく一部の地域を除いて通常の商業施設では出店に二の足を踏みます。
オフィス就業者向けの利便施設が中心になるでしょう。堂島から淀屋橋あたりの商業施設、特に物販は検討しているとはいえ、爆発的に成功しているわけではないので、出店者は集まりにくいと思います。「なんばパークス」等のように自然と建物を融合させた環境作りがまち街全体でできれば集客機能も強化されますが、おそらく、今の経済状況の中で「効率的」な建築物を考えると集客施設としては魅力の無いものになるでしょう。
梅田北ヤードはナレッジキャピタルとして都心に近い場所あることで、技術者やアジアの情報拠点となる優位性を持とうとしているのですから、多くの人が自然に集まるような環境、仕組み作りが生命線だと思います。
そうそうたる事業者が集まって計画を検討しています。不動産事業の今までの経験則や常識を一旦捨てて、新しいビジネスモデルをつくる・・・・というのが「裏のテーマ」かもしれません。
百貨店は不動産事業か?
大丸は心斎橋北館の駅ビル並みの取引条件でブランドを入れるようにされたようです。通常、消化仕入れで百貨店の値入率=取り分は35〜40%です。(結構取りますね)駅ビルでは15〜20%ですから新しいブランドや中小のメーカーでは百貨店には出店できません。
大丸はこの何年かコスト削減で実績をあげてきています。奥田さんのメルボルン店での経験が活かされて、札幌出店の成功要因もローコスト経営のノウハウによるものです。
大丸単体の祖利益率は26%です。戦略的に強化する部分であれば家賃換算で駅ビルなみに設定しても何とか利益はでます。(心斎橋店では北館開業でも人員は増やさないことが発表されています)
売上仕入れをベースとしながらテナント契約に近いものだそうです。
梅田大丸の増床に当たっても同じような取引条件が導入されることと思われます。
島屋の今期決算では本体の利益減少を、子会社の東神開発の利益が支えたといわれています。二子玉川ショッピングセンターなどショッピングセンター運営に実績のある東神開発はこれからの経営の2本目の柱となるそうです。
それぞれの事情があって、いくつかの3セクのショッピングセンターの運営から百貨店からの出向者がいなくなりました。その後、売上が一段と減少しているという話を聞くと、やはりショッピングセンターの運営には現場の経験者が必要なのだと思います。
次に来る「駅ビル」の試練
梅田の将来を考えたときに、百貨店が大丸に見られるような取引条件の改革を進めていくと「テナント企業」は百貨店への出店を選択する可能性が高くなります。
百貨店も多くはターミナル立地ですから立地での優位性は同じですから、「プロ」を相手に厳しい戦いになって行くはずです。
(2009年6月8日)
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■様変わりする梅田の変化を勝手に予測する |
梅田の百貨店のポジショニング変化
20011年以降、梅田の百貨店は現在の阪急、阪神、梅田大丸に加えて、三越伊勢丹が開業し4店体制となる。阪急は2012年完成の増床が終わると8.4万u、阪神が4.7万u、梅田大も増床後は6.4万uになります。三越伊勢丹は5万uですがJRの運営する専門店が2万u、そしてシネコンが入居します。その時に各百貨店のポジションはどうなっているのでしょうか?
以下の予測は、新聞記事や今まで公開されている経営判断からの勝手な推測です。断言口調でが「具体的な情報」に基づくものではありません。外れたらごめんなさい。〜多分、本当にまだ決まっていないと思います。〜でもきっとこうなります。
経済情勢の悪化の中で、低価格・セール路線にウイングを広げだした梅田大丸
東京駅の大丸が競合の中で、セールで売上確保に舵をとっています。同じターミナル立地の梅田大丸でもこの経済情勢化で低価格対応、セール重視に活路を見いだしかけているように考えられます。先日からスタートした紳士服量販店「はるやま」の導入、そして食品の期限切れ直前商品のセール販売を始めたとの報道・・・・・。
心斎橋そごうの跡地は今まで取り込めていなかった若い世代のカジュアルな商品を中心にまとめるとの発表がありました。梅田の競合の中で、いかに大丸といえども思うようにブランドが揃わないでしょうから、増床部分は心斎橋のそごう跡=
心斎橋北館と似たような路線に進む可能性が高いです。
おばちゃん向けのセールも強化すると想定すると、生き残りのためにコンセプトが拡散した百貨店となる危惧があります。(つまり、安物の多いセールの店というイメージが強くなります)
かつて梅田大丸が開業した時真新しい店舗環境と、スタイリッシュな商品構成で多分当時、日本一美しい百貨店だったと思います。(後日、同じ店舗設計者がデザインした「伊勢丹新宿店」を見たとき、ファッションフロアのビジュアルプレゼンテーションは美しい反面、建物が古いためかほころびが・・・・美しいメイクで決めている人の、目尻のしわ、首のたるみ、手のしみなど老化・・のようなものがとても気になりました。日本橋の三越、島屋ならばその「しわ」が風格になるのでしょうが・・・)
大丸はステイタスを残して幅を広げる意図なのでしょうが、「ステイタス」の部分で生活者の感覚にあっった「価格ライン」を形成出来ない限り、「安い商品を売る店」という方向にイメージは流されていくと思います。
阪神百貨店の食料品売場は無くなるの?
かつて「日本一の食料品売場」を自称していた阪神百貨店の食料品の扱いについて、「大きく縮小されるのではないか」「なくなるのでないか」という噂が飛び交っています。
心斎橋で大丸が買収したそごうの食料品売場をなくしたように、阪急阪神がグループ会社ではなく一体となった以上、合理的な判断では重複している売場を集約する・・・・という考え方になります。
特に売場の効率を重視する阪急の食料品売場の考え方では、阪神の売り場は非効率の固まりに見えるはずです。(・・・ただ、その判断が小売業・サービス業で正解かというと、私はそうでないと考えています)
阪急阪神の経営陣がどう考えているかはわかりません。まだ決めていないかも知れません。今の時点で想定されるのは、ギフト関連の有名店は阪急に集約。生鮮、そうざい、イートインは利便性が勝負ですから阪神に残すと思います。
梅田の地下は人通りが非常に多いですから、縮小して空けたスペースに若いOL向けのカジュアル衣料、雑貨など開店の早い商品・テナントを設置するでしょう。(地下鉄構内のユニクロは売れていますからね)
阪神にしかない商品でファンも多かったのですが、売場面積縮小以上に魅力はなくなるでしょう。喜ぶのは梅田の「食料品市場」に食い込む隙間が見えてくる三越伊勢丹でしょう。
三越伊勢丹は京都の成功体験ではなく小倉の失敗体験に学ぶべき〜JRの独り勝ち?
5万uとは大きさが少し中途半端かも知れません。全館を新宿伊勢丹と同じ店舗政策で固めれば、店舗環境も新しいですし、かなりの競争力があるのですが、「富裕層」といった伊勢丹らしくないターゲット設定や、大阪商圏を意識した地域対応の「低価格商品」が売場の一部を占めて、「伊勢丹」のにおいはかなり薄まるはずです。
そごう=西武のように唯我独尊で市場を読まないのも間違っていますが、発表されているコンセプトを見る限り、沢山調査をしすぎて逆に市場の読みに正確さを欠いています。
「京都」での成功体験は競合のない市場での成功です。参考にはなりません。
小倉伊勢丹では多分、競争相手の井筒屋をみて「これなら勝てる」と見くびったのだと思います。コンパクトタイプの伊勢丹とテナントで失敗しています。何故、うまくいかなかったか?再検証することが必要です。
このままだと「ミニ伊勢丹」+「商圏対応の色々」となって5万uの力は発揮できないでしょう。
JRの商業施設は新しい駅ビルと中央郵便局建て替えの商業ゾーン、エスト1が一体として運営されるでしょうから、美味しいところを全部持って行くことになります。〜若いOLさん等の手頃なファッションのテナントに対しては百貨店よりJRの方が強い立場にあります。
梅田北ヤードのにぎわいは・・・・?
遅々としてすすまない様に見える、梅田北ヤードの「にぎわい機能」についての予測も書くつもりでしたが、それは次回とします。
この「予測」は過去の各社の行動パターン分析と新聞情報に基づくもので、「極秘の裏情報」ではありません。(そんなものあったとしてもインチキに決まっています) 百貨店関係者の方記述に気分を害されたらごめんなさい。本当は、予測がはずれる事を望みます。
(2009年6月5日)
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■「キャベツ焼き」と「10円饅頭」〜不況に強いおやつの市場 |
10円饅頭の利用者は?
大阪の軽食市場を席巻していたのは100円の「キャベツ焼き」(メリケン粉をといたものの上に刻んだキャベツと天かす、紅ショウガ、卵をのせた物〜昔の洋食焼きのようなもの)でした。庶民の食べ物である「たこ焼き」や「お好み焼き」の価格が高騰する中で出現した「粉もの」界のユニクロといった趣があります。
十三などの地域の商店街やミナミの屋台で多く見られます。ちょっとした「虫養い」に手頃な食べ物だったのでしょう。一時ほどの勢いはないものの、まだまだ屋台は多いようです。
「焼きそば焼き」「トンカツ焼き」など高付加価値商品の品揃えにはしったこともりましたが、この不況でプレーンな商品中心に回帰したようです。
さて、この粉物はおそらく関西の局地的な流行でしょうが、全国的に浸透している低価格おやつとしては、10円饅頭があります。小さな蒸し饅頭で10個以上からの販売とはいえ、安くて手頃なおやつとして多くのFCチェーンが林立しています。
購買者層は50歳以上の中高年が中心ですが、女子高校生のおやつなどにも利用されているようです。
表ー「10円饅頭」購入者層
某チェーンFC資料より
平均客単価400円。低価格商品なので原価率は52%。店頭での調理は蒸すだけなので、立地さえ良ければ収益はあがります。
不況に強いお菓子業界でも、消費の気分の落ち込みへの対応が必要
去年までは「パティシエ」「ショコラティエ」が話題になり、デパ地下食品ブームでした。洋菓子、和菓子などのお菓子類は不況に強い業種です。2008年の売上もそう落ち込んではいません。ただ、消費の気分としては高いお菓子からよりリーズナブルなお菓子を楽しむ方向にシフトしていくことが考えられます。
表ーお菓子の小売り市場規模
まとまった時間に、まとまった金額をかけて「贅沢」を楽しむことが難しくなってきた経済情勢でも、職場や路上などの空間も含めて少しほっとした時間をもとめているのが、時代の気分かもしれません。
(2009年6月4日)
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■「同質化競争」を産むメカニズム |
「同質化競争」を産むメカニズム
小売業界では10年一日のごとく「同質化競争」からの脱却が「課題」になっています。
ファッション専門店業遺体ではここしばらくSPA(製造小売業)化が進行してきた。値入率をあげて祖利益率を高めるという利益への貢献と、より早いスピードで売れる商品を入手するための有効な手段としてOEMを使いながらの自社生産の比率を高めてきたのです。
最初は店独自の個性ある商品を調達するために始めたSPA化ですが、だんだん売れ筋狙いの同質化が進み、在庫リスクが高くなってきたということです。(繊研新聞6/2より)
百貨店、スーパーと言った大型小売店はこの厳しい情勢下で低価格対応に追われています。競争の軸が「ひとつ」になってしまうと「同質化競争」がどんそん進みます。
お互いに不利益になることがわかっていながら繰り返される同質化競争は、商圏の環境、自社のポテンシャルが、自社の顧客像を理解していない事から生まれます。
実態をみないで抽象的な概念である「市場」での「最適解」を求めると、プレイヤーはみな同じ結論を出し、同じ戦略で利益をあげようとするのです。
「現実」を見ないで「市場」しか見ない、「形になった結果を見てから自分の行動を決める」その基本的な行動パターンを替えない限り「同質化競争」はずっと続いていきます。
百貨店はバイヤーの出張費をカットして「仕入れに外出できない」と愚痴混じりに語られていましたが、最近、電話代にもコストカットの波が押し寄せているという噂です。メーカー的なロジックでのコストダウンはサービス業には完全にはあてはまりません。レストランのサイゼリアのように調理の工程管理や素材の調達・物流つまりサプライチェーンマネジメントには応用できても、商談や情報収集(今風にいえばインテリジェンス)と接客活動には合理的な指標での効率化ほどそぐわないものいはありません。
理系的な効率化のロジックが同質化競争を生み出すとも考えています。
(2009年6月3日)
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■「生活提案」と「逝きし日の面影再生」 |
「生活提案」型の売場で定着した新しいライフスタイル
百貨店人にとって「生活提案」という言葉は手垢がついてしうほ昔から聞いていながら、いまだにクリアできていない課題です。団塊世代「ニューファミリー」「ニューサーティ」呼ばれていた時代(1970年代後半から1980年初め頃〜金妻は1983年)に例えば、ワイン飲む習慣、ナチュラルチーズを食べる習慣、団地から郊外のマンションへ転居してインテリアにお金をかける事が夢となったの(イケアの最初の日本進出は1974年、一時撤退しアクタスに引き継がれます。インテリア雑貨の先駆けオレンジハウスの開店は1974年)は百貨店を初めとする小売業の「生活提案」「ライフスタイル提案」が加速させ、定着させた物といえましょう。(その当時の小売業のトップランナーが文化戦略をとっていた西武セゾングループでした)
かつては欧米風の生活様式や、その当時紹介されていなかったサブカルチャーを取り上げるだけで人々の関心を呼ぶことが出来ました。今、世界的にみて魅力のあるライフスタイルは「環境に配慮した」「持続可能な社会」をつくるための生き方や道具なのですが、購買に結びつけるだけのストーリーを描けている小売業はほとんどありません。(破綻したGMが最期までエコカーをメイン商品にできなかったのを教訓にしてください)
シニアの住まいには最新の機能と「懐かしい暮らし」の共存を
高齢者の住まいのあり方についていつも考えています。住宅に関していつも思うのは「設計者」と「居住者」の意識、感覚のギャップの大きさです。特にシニアの場合、多くは若い世代の設計者が「シニア」にはこれがいいだろうと頭で考えて設することになります。安全、安心、・・・バリアフリー・・・機能については類推できても、どんな暮らし方が快適かを考える想像力はありません。結果的に「施設」のような住まいになってしまいます。
「居住者」は自分の希望をうまく言葉に出来ません。なんとなく違和感を感じても、提供される物の中で選択していしかないのです。
昭和30年代をCGで再現した疑似過去の映画が話題になりました。・・・30年代を知るものとして、あれは嘘です。昭和30年代前半はまだ戦争の影を引きずっていましたし、貧乏による生活苦が大きな重しとなっていました。朝鮮戦争の拡大におびえて毎日次の戦争が近づいている予感の中で暮らしていました。(この実感も「嘘」ですが)
世の中が先行きに「明るい希望」を持ち出したのは昭和40年代にさしかかってからです。公団の大規模開発団地での暮らしが「新しい生活」のシンボルであったように思います。今、シニア住宅のユーザーとして注目される団塊世代(都市部)にとって「懐かしい暮らし」は団地のイメージではないかとの仮説をもっています。
居住空間はコンパクトで、適度にプライバシーが守られ、緑は豊かで徒歩圏に買い物施設もある・・・・。地面から離れた高層マンションで、毎日見守りという名の監視をうけて暮らす・・・。少なくともそんな施設のような居住空間にはあこがれる事はないでしょう。
人間というのは思った以上に保守的なものです。これからの人生の住まいについて、新しい冒険が出来るほど革新的な人はそんなに多くありません。「一番楽しかった時の記憶」がどこにあるのかを考えれば「シニアの住まい」に必要な要素が見えてくるはずです。
「生活提案」には対象の根源的な欲望にひっかかるフックが必要です。シニアの老後の住まいは「銀座」の「高級老人ホーム」で入居者同士のラブアフェアを楽しみたいと妄想する老人は、あまり良い人間関係を築けてこなかった日経新聞の愛読者だけでしょう。
(2009年6月2日)
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■「立地創造型SC」と「ブックオフ的ただのりビジネス」の終わり |
「立地創造型ショッピングセンター」が信じられた時代
かつて、今まで人が集まらない場所(郊外や工場地帯)に大型の複合商業施設をつくり、大型店の集積に加えてアミューズメントやスポーツカルチャー施設を集めて新しい人の流れをつくる・・・という広域商圏のショッピングセンター開発を「立地創造型SC」という呼び方で、これからの商業施設のあり方として喧伝されていたことがあります。
その時に、例えに出されるのは「東京ディズニーランド」で「入場料売上」と「物販・飲食売上がほぼ同じで1,300億円以上あるという事例でした。ディズニーはソフトの蓄積が半端ではないですし、レジャー消費の一環として考えるべきで「入場料の取れるショッピングセンター」であるというのは大きな誤解であったと思います。
当時は「生活遊園地」をキャッチフレーズにしたショッピングセンターがいくつかつくられましたが、狙いとした広域からの集客は一時的には実現しましたが、ソフトの革新が続かないで飽きられてしまいました。「遊園地」はリピーターを確保するために常に新しい情報を発信していく必要があります。その追加投資を小売業の販売促進経費でまかなうのは無理です。
今の広域商圏のショッピングセンターは「商品」「サービス」が人を呼んでいる
今、人が集まらない立地で成功しているショッピングセンターは、都会にはある手頃でセンスのいいブランドショップとスターバックスコーヒーに代表される都会的な飲食、シネコン集積し、無料駐車場を沢山備えた「イオンモール」のような地方立地の大型ショッピングセンターかあるいは、有名ブランド品を集積したアウトレットモールかのどちらかです。
地方都市にはなかった都会的な「商品」「サービス」が人を集めるか、都会では「高くて買えないブランド商品」がディスカウント価格で購入できるアウトレットモール。どちらも「商品」「サービス」のもつ情報性が人を集めているのです。
かつては「商品」「サービス」とは別のところで「情報発信」することで集客しようとしていたものが、「情報発信性のある商品・サービス」が集客のエンジンとなっています・・・・・。さて、ここにひとつの問題があります。
ブックオフ的「ただ乗り」ビジネスがオリジナルな「創造力」の資源を枯渇させる
ブックオフ(新古書店)の所為で新刊書が売れないという議論があります。著作者が報われないので新しい出版物が生まれないという仕組みを指摘したものです。出版物で「独創的な新しい物」をつくっても報われないため、お手軽で回転率の早い「レベルの低い本」が大量生産されるという影響がでるというものです。
今、人を読んでいる「商品」「サービス」の魅力は都会性であったり、何らかの独創性に支えられています。地方の大型モールやアウトレットモールは「どこかで」生産されている「オリジナリティ」=「情報性」をうまく2次利用というか「ただ乗り」しているともいえます。消費するだけで再生産のベースになっていませんからね。
魅力的な、新刊がでなければブックオフは成立しません。
経済情勢が厳しくなってくると都会で、新しいファッションを購入する人が少なくなってきます。高級ブランドが苦戦するとアウトレットに一時的に商品が流れてきても、来年はもう新しい商品は生産されないかも知れません。
スターバックスコーヒーがドトールコーヒーのようなショップと認知されるようになったときにその魅力は喪失し、ただ高いだけのコーヒ屋となります。
地方からの情報発信、小さな市場からの情報発信
かつて、百貨店は情報発信基地でなければいけないという主張が一世を風靡しました。西武、伊勢丹、三越、島屋それぞれの百貨店の個性によって売場での「生活提案」であっったり、「美術展」だったり身近な場所で文化に触れる機会を提供してくれていました。
今は、各社とも疲弊しその発信力が衰え、かつ時代にあわなくなってきています。
「食」の市場では地方の隠れた良い品物を発掘する動きが拡がっています。インターネットの普及で、個人レベルでかなり質の高い情報発信をしている人達も増えてきています。
都会に最先端があるのではなく、地域にも新しい情報が沢山ある・・・・という考え方から組み直していくべきというのは、あまりにもロマンチック過ぎるのでしょうか?
(2009年6月1日)
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